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岐阜市立歴史博物館



金華山山頂の岐阜城天守閣、山麓の織田信長居館跡、明治時代に自由民権運動の旗手として活躍し、岐阜での講演後に暴漢に襲われ『板垣死すとも自由は死せず』の名言?で有名な板垣退助銅像をみて、やっとたどり着いたのが、

岐阜市歴史博物館


入館してみると、1階が特別展示室、2階が常設展示室となっていて、
時間もないし、特別展が地元出身の画家の作品展で、それをみるとなると、
異様に入館料が跳ね上がるので、常設展のみの見学に。

2階へ上がると、どこの歴史博物館や郷土博物館でもだいたい同じで、
原始時代から始まるご当地の紹介。
特に岐阜の場合、その脚光があたるのは斉藤道三・織田信長が支配していた
戦国時代から安土桃山時代の展示がメイン!

『天下鳥瞰絵巻』と称する岐阜城を中心とした美濃の国のジオラマとか、
甲冑・刀剣などの展示、他にも古文書とかもあったような?

その中に、写真撮影が許可された『楽市立体絵巻』と名づけられた一角が

信長時代の岐阜の楽市の一部を原寸大で再現したものらしい。
魚屋とか呉服屋、紙屋などが再現されていて、魚屋の中には信長の食事も!
豪華といえば、豪華なのだが、江戸時代のそれと比べるとまだ質素な感じ。

さらに足を進めると、江戸時代以降の岐阜の歴史が。
江戸時代は、美濃には幕府の政策上の観点から、一国を統治する大名を置かず、
幕府の天領、隣国の尾張藩領、譜代大名領、旗本領が入り乱れる感じと
なっていたことが判明。

江戸幕府は、天下を臨む位置にある岐阜城の存在を嫌い、これを廃城。
代わりに麓の少し離れたところにある加納に、加納城を築城し、そこに譜代大名を配置。
岐阜の町も、尾張藩領と加納藩領に分割するなど、美濃が一国でまとまらないように
巧みに色分けした様子。

そのためか、岐阜は世の中から忘れ去られたようになったみたい。

その後、明治・大正・昭和と、地方都市一般的にある時代の流れを展示。

ダラダラと見ているうちに、ついに出口。

博物館から出ると、まだ山頂の天守閣は見えるけど、
さらに薄暗く・・・。

いよいよ岐阜ともお別れ、足早にPに向かい、
クルマをまずは名神の岐阜羽島インターへ走らせたのだった・・・。ですが・・・。
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コメント

No title

確か岐阜市歴史博物館はリニューアルしているはず。私が行った時はこんな展示がなかった気がします。

No title

最近の博物館はジオラマが好きですね。新潟県の博物館にもあります。 岐阜だけにメインは戦国時代なんですね。

No title

Mineoさん、岐阜市歴史博物館のパンフによると、2005年(平成17年)3月26日リニューアルと記載されています。リニューアルは最近のことのようです。

No title

クロコダイルさん、最近は体験コーナーとかジオラマとか視覚・聴覚・触覚などと五感に通じていくような展示が多いです。それとやはり岐阜だけに戦国時代~江戸初期の展示が中心となりますね。

No title

関ヶ原の戦で津軽藩3000名の兵士は大垣城を攻撃した。しかし攻め込んだ時には既に石田三成は城を離れていたという。それでも家康は褒美に上州尾島村等2000石を与えた。津軽藩攻略の足跡史実が岐阜市歴史博物館に残っていないでしょうか。遠くて訪ねることも出来ない。地元の歴史愛好家で研究している方はいないでしょうか。

No title

それは多分、岐阜市歴史博物館には無いのでは?岐阜は直接関係ないみたいだし。あるとすれば、大垣城内の博物館か関ヶ原資料館にあるでは?僕も東海地方の出身でも在住でもないので、申し訳ないですが分かりません。当ブログ常連のきっぽうしさんなら少しはご存知かも知れませんが・・・。

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