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2015年7月12日 我が母校へ行く その2 

ちょっと時間が経ってしまいましたが、先日の記事からの続きです。

菅原神社で参拝し、伏見中学校前・奈良自動車学校・あやめ池遊園地跡を経て、ようやくたどり着いたのは、我が母校である奈良市立登美ヶ丘中学校です。




校舎は小高い丘の上にあります。

その小高い丘へ登る道の入口に、在学当時にはなかった校名と校訓を記した石碑があります。




その向かい側には、当時からあった校歌の一節『道開くべし』の石碑が健在。

何故か校歌が頭の中を横切ります。





小学校・中学校・高校・大学と卒業しましたが、何となく記憶にあるのは、この登美ヶ丘中学校の校歌だけ。他の校歌は全く忘れてしまっています。さらに大学には校歌があったのかさえわかりません。




校舎は小高い丘の上にあるので、まずはこの坂道を登らなければなりません。

当時はこの程度の坂道、何ともなかったのですが、流石に寄る年波にはかないません。ここにたどり着くまでダラダラとしら上りが続く道が多かったので、結構きましたねぇ~♪

やっとの事で校門の前までたどり着くと、その前のプランターの植え込みの手入れをしているおばちゃんが『何か御用ですか?』と。

写真を撮らせてほしいと言うと、『ここ(登美ヶ丘中学校)と、どう言った関係ですか?』と言われるので、卒業生だというと、『何期生?』と。

何期生かわからないので30年前の卒業生だと言うと、『14期生くらいかな?当時の先生って誰か知っている方いますか?』と。

『いっちゃん(市川先生)、ご存知ですか?』と言うと、『市川先生?!、あのころまでおられたんですか!』と驚かれ、『開校当時からおられたらしいから、ずいぶん長い間いらっしゃったんですねぇ~!』と。


※市川先生とは
体育教師・生活指導担当・剣道部顧問で、いつも竹刀を持ち、時として竹刀でケツバットならぬケツ竹刀で生徒指導をされていました。その風貌はパンチパーマでそりこみ入りで、愛車は日産のグロリア。生徒はもとより他の先生からも恐れられていました。陰では「いっちゃん」とあだ名されていました。僕が3年生の時は副担任で、担任の先生がアキレス腱を切って休んだ時は臨時担任を3ヶ月をされました。その3ヶ月は恐怖の3ヶ月でした。


このおばちゃん、どうも僕の先輩だったらしく、御主人も7期生との事。

あの頃の懐かしい話をしばらくしていると、休みにも関わらず校長先生が登場。

校長先生の御好意より、久しぶりに校内を見せていただけることになりました。




校門から校舎下駄箱までのアプローチ、当時はグランドとの境目も不鮮明でした。





この舗装路のためグランドは、思ったよりも狭く見えました。

当時は昼休みに手前のゴールポスト付近でミニサッカーなどしていました。





校門正面の体育館とプールは、当時のモノが取り壊され、新築されていました。

さらに踏み込んで中庭の方へ進むと・・・




当時も今も教職員用のP様ですが、当時は未舗装でもっと埃ぽかったです。

卒業前に仲間数人と『いっちゃん』のグロリアの前で記念写真を撮ったのを思い出します。懐かしい。

さらに先の方に進むと・・・




校長先生ご自慢の4mのひまわりが一輪だけ咲いていました。

もう少し咲いていると華やかなのでしょうが、これから咲くのかもしれませんね。

校舎内をみると、当時近所のパン屋さんが出張販売に来ていた正面玄関でした。




値段が安いのでついつい買った悪い油で揚げた『揚げパン』の事を思い出しました。

二つ食べると胸が悪くなるシロモノでしたが、よく飽きもしないで食べていたなぁ~と今更ながら感心します。

校門前まで戻り、OGのおばちゃんと校長先生にお礼を申し上げ、母校を後に~♪

今度は大和西大寺駅をめざしました。

その途中、こんな学校も・・・




この学校の卒業生ならなくて良かったとつくづく思ったのでした・・・(笑)

















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コメント

No title

生まれてずっと奈良ですか?
幸せですね

No title

おはようございます。母校訪問いいですね。自分の母校ではないのに、何か昔にタイムスリップしたような懐かしい気持ちになりました。自分もやってみたいです。

自分は勉強嫌いで大学は行きませんでしたが、今になって後悔です。一般に言う「母校」とは違いますが、横須賀教育隊や第2術科学校にまた行ってみたいです。簡単には入れませんけど・・・。

No title

> Hawaiiさん、生誕以来ずっと奈良市民です。
それが良いのかどうかはわかりませんが・・・

No title

> SACさん、こんにちわ。

自宅から母校へ向かい、そこから西大寺駅までおよそ11kmと散歩の域を越えハイキングみたいな感じでしたが、久しぶりの母校訪問で、いたるところに懐かしい日々が思い出され感慨深いものがありました。
大学の方は、たまに仕事の関係で行くこともありますが、こちらも懐かしい日々が思い出されるのと、校舎も建て替えられ年月の流れを実感させられたりと感じ入るものがあります。

海自の教育機関で一般人でもその一部を見れるのは、多分江田島の旧海軍兵学校(幹部候補生学校・第一術科学校)くらいでしょうか?

また久しぶりに訪れ、懐かしい人たちの名前を聞くとさらにこみ上げてくるものがありますね。

No title

加賀守さん、こんばんは(^-^)
昔は コワーい先生 いましたよネ~

No title

> けいちゃんさん、おはようございます。

昔はこういった先生がどこの学校にも必ずいたものですが、今はどうなんでしょうかね?
体罰禁止とかコンプライアンス遵守とか、そういった変にこだわった事ばかりに気にとられ、本来の教育がないがしろにされているのではないかと危惧しています。
痛みというものを身に染みて知らないまま、成長していく子供たちの将来を憂慮してしまいます。

No title

昔の怖い先生は、チャント手加減していた、今は切れて怪我するまでやっているような

No title

> Hawaiiさん、全くおっしゃる通りです。

昔の先生は、その辺の手加減の仕方を十分理解していましたからね。最近は、どつかれたりした事がない人が、その辺の手加減を知らないまま先生になったりするものだから、やってしまうとトコトンまでと言う事になり、問題になるのですよね。小さいときに”痛い”と言う事はどういうことなのか肌身に感じで置くことは必要だと思います。そんな事のなれの果てが、安保法案でただただ反対をわめき、現実を直視しない人達を生んでいる原因かと思うのです。

No title

こんにちは。
昔は怖い先生が多かったですよねぇ、よく男の先生にはどつかれ、女の先生には引っ叩かれていましたよ。
小学校のときでしたがヤ◯ザくずれかって思うような先生が多かったですw

No title

> グフフのフさん、こんばんわ。

確かに昔は怖い先生が多かったですよね。
今回紹介した市川先生以外にも『ピラニア』とあだ名された技術の先生も怖かったです。顔そのものがホントにピラニアでしたからね。

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プロフィール

大納言兼加賀守

Author:大納言兼加賀守
ブログ創業 2005年7月です。

2019年12月のYahoo!ブログ終了と『令和』改元に伴い、FC2ブログさんへ移管しました。新型コロナウィルスは昨年GW明けから5類相当以降しましたが、これに油断せず、手洗い励行で感染防止を心がけたいと思います。
2024年 今年は大河ドラマ『光る君へ』の現地調査を中心にアチコチと訪問しています。

写真は高校の文化祭の時に撮影したものです。

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