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大洲城天守閣その1

さてさてクルマを公民館前のPに停め、いよいよ登城です。

Pの裏手にある大手門跡から入城しました!




天守閣は、肱川沿いにある小高い丘の上にあります。

要するに大洲城は城郭として『平山城』という部類になります。

ということは、坂道を登らないと天守閣どころか本丸にもたどり着けないということです。

前日の松山城は途中までリフトやロープウェイがあり、それを利用もしましたが、
それでも本丸・天守閣までは、そこそこの距離があり疲れてしまったので・・・

見上げる天守閣を前に、いきなり疲労感が・・・・




でもここまで来て引き返すことなどできません。

さっそく坂道を登っていきます。


すると御殿跡が・・・御殿は二の丸の主要な位置にあったようですが、
それほど大きなものではなかったようです。

その御殿跡の片隅に




江戸期の武士の銅像が鎮座しています。

誰や?これは?

中江藤樹

農業中江吉次の長男として誕生。9歳の時に伯耆米子藩主加藤家の150石取りの武士である祖父・徳左衛門の養子となり米子に赴く。1617年(元和2年)米子藩主加藤貞泰が伊予大洲藩(愛媛県)に国替えとなり祖父母とともに移住する。1622年(元和8年)祖父が死去し、家督100石を相続する。

1634年(寛永11年)27歳で母への孝行と健康上の理由により藩に対し辞職願いを提出するが拒絶される。脱藩し京に潜伏の後、近江に戻った。そこで、私塾を開く。1637年(寛永14年)伊勢亀山藩士・高橋小平太の娘・久と結婚する。藤樹の屋敷に藤があったことから、門下生から藤樹と呼ばれるようになる。塾の名は、藤樹書院という。やがて朱子学に傾倒するが次第に陽明学の影響を受け、格物致知論を究明するようになる。

1646年(正保3年)妻・久が死去。翌、1647年(正保4年)近江大溝藩士・別所友武の娘・布里と再婚する。 1648年(慶安元年)藤樹が亡くなる半年前に郷里である小川村(現在の滋賀県高島市)に「藤樹書院」を開き、門人の教育拠点とした。その説く所は身分の上下をこえた平等思想に特徴があり、武士だけでなく商工人まで広く浸透し「近江聖人」と呼ばれた。代表的な門人として熊沢蕃山、淵岡山、中川謙叔などがいる。

ウィキペディアより

僕はてっきり生粋の近江在住の学者かと思っていたけど、そういうわけでもなく、
一時期は大洲藩士だったらしい。

しかし、この人物が後世の人たちにどれだけの影響を与えたのか、
僕には全くわからない。
でも何かしらの影響の下で、僕たちがこの世の中を生きていることは間違いないと。
それがいつになったらわかるのか、いや一生知らないままで過ごしてしまうのではとも。

そんなことも思いながらもさらに足を進めます。

坂道の斜度も本丸までの距離もさほどではない事が、その時点でわかりましたが、
この日は前日以上に天気がよく・・・・暖かいから暑いという感じになっていました。




さあ、本丸・天守閣は目前に迫ってきました。

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コメント

No title

中江藤樹 私も知らないです。

No title

僕はスキーや北陸へ海産物を買いに行くとき、よく湖西の国道を通るので中江藤樹の名前だけは知っていましたが、どんな人かはよくはしらないです。

No title

同僚が仕事中(…)見つけたブログで 私ハマリました。
いつも楽しく読ませて貰っています。
大変でしょうが、お互いがんばりましょう。

No title

いつもいつも駄文駄作だらけのブログを読んでいただいてありがとうございます。
続けていくのも中々大変ですが、本当にお互い頑張りましょう!

No title

大洲城でこの像を見て、中江藤樹の名を知り、この3月、通ったついでその湖西の中江藤樹の記念館に行ってみました。ちょっと分かった気になりましたが、後世への影響、藤樹の弟子たちが何をしたのか、わかりませんでした。。

No title

OLやってます。毎日刺激なく平々凡々と暮らしておりましたが、
素敵なブログに出会えて、楽しみ(刺激)が
一つ増えそうです。

応援しています。これから毎日読ましてもらいますね。

No title

ひかるさん、おこし頂きありがとうございます。
どうぞ宜しくお願いします。

No title

イエトラさん、中江藤樹については名前は知っていましたが、その業績については知りませんでした。ウィキベディアでも調べてみましたが、あまりよくわかりませんね。彼の考えが今現在どう影響しているのか、これもよくわかりません。実際のところ、たいしたことはないのかも知れませんねぇ~♪

No title

高島市からお伺いしました。中江徳左衛門を探してここへたどり着きました。本年(2008)滋賀県高島市にて中江藤樹400年祭「藤と木と風と」中江藤樹市民劇を開催します。別にCMではないのですが、今度徳左衛門役をさせていただくことになりましたが、資料がありません。自分なりの徳左衛門をやるつもりです。中江藤樹は、戦前は教科書にも載っていましたが、戦後、軍が頑張って中江藤樹を押したので戦後は、ばっさり教科書から消えてしまいました。60代の方々はご存じかもしれません。この機会に中江藤樹をよろしくお願いいたします。

No title

Youtube大好きさん、はじめまして!
中江藤樹は、日本史で習って、その存在は知っていましたが、彼の業績については知りませんでした。ウィキペディアなどで調べてもみましたが、イマイチよくわかりませんでした。歴史にも名を残している方のようなので、その存在が認知されるようになればいいなと思います。

No title

TBありがとうございました。こちらもさせていただきますね。
いつも列車から見る綺麗なお城を間近で見るとなるととても綺麗ですよね~。

No title

TBどうもありがとうございます!
近くにいくと、その姿は非常に立派に見えますね!

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プロフィール

大納言兼加賀守

Author:大納言兼加賀守
2019年12月のYahoo!ブログ終了と『令和』改元に伴い、FC2ブログさんへ移管しました。新型コロナウィルスはGW明けから5類相当以降しましたが、これに油断せず、手洗い励行で感染防止を心がけたいと思います。
2023年 今年は大河ドラマ『どうする家康』の現地調査を中心にアチコチと訪問しています。

写真はDD51形ディーゼル機関車のデッキ上にいる当時10歳の僕です(笑)

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