姫路城『ほの門』
- 2006/06/29
- 21:48

『にの門』をくぐり抜けると、そこがまた溜まり場みたいになっていて、その先に『ほの門』がありました。この『ほの門』、写真の通り、極端に狭く、門をくぐり抜けるにも、身をかがめないとあたりそうで、くぐるだけなんですが、頭上が気になりました。くぐり抜けると、いよいよ天守台の周囲へ!しかし、そこは姫路城、縄張りの巧妙さで、簡単に本丸(備前丸)・天守閣へは、渡櫓に沿って歩き、さらに『への門』・『ちの門』・『備...
姫路城『はの門』・『にの門』
- 2006/06/28
- 22:23

西の丸をでて、一路、天守閣を目指して、半分脱水症状?になりながら歩いていくと、よく観光案内やガイドブックに出てくるシーンをまた目にしました。はの門です。姫路城の場合、、菱の門をくぐり、天守閣へ向かうと至る所に門があり、個々の門には、『いろはにほへと・・・』になぞらえた名前が付けられています。石段があって、その向こうには天守閣の最上階が見えるのですが、その石段は途中で左に折れ曲がり、『はの門』にあた...
西の丸渡櫓・長局・化粧櫓
- 2006/06/26
- 22:12

西の丸広場で、『暴れん坊将軍』の雰囲気に浸り、次に向かったのが石垣沿いに建つ渡櫓と化粧櫓です。もともと西の丸は、築城者の池田輝政時代には余り整備はされていなかったらしく、その後に城主になった本多忠刻が千姫輿入れの際に本格的に整備し、現在の姫路城の威容が整ったのです。まずは渡櫓の南端から入り、歩いていくもいつまで経っても櫓を中を仕切った部屋の中で、そんな雰囲気が終わり、2階へ登らせるようになっていく...
姫路城西の丸
- 2006/06/25
- 21:51

中村大佐顕彰碑のところから坂道を上がっていくと、そこが西の丸でした。御殿が建ち並んでいただろう西の丸築城時とは違い、今はその敷地は庭園風に整備されていました。敷地の真ん中あたりに立ってみると、東側には連立式の天守閣がそびえたっていました。しかし、この風景、どこか見たような?そうそう、『上様』『じい』の呼び声がどこかから聞こえてきそうな?テレ朝系で放送していた『暴れん坊将軍』の一シーン!!徳川吉宗役...
姫路城菱の門
- 2006/06/25
- 19:11

今回訪問したのは旧播磨国の拠点であった姫路城です。前述した大手門跡を抜けると、そこは三の丸跡で藩庁跡・藩主邸跡は広場になっており、近所の親子らしき人達がボール投げをして遊んでました。そんな感じだし、特に礎石が残っているというわけでもないので、広場に沿って歩いていくと、正面登閣口があり、そこで入場券を買い、いよいよ世界文化遺産へ!!その最初に現れるのが菱の門です。世界文化遺産としての姫路城の大手門的...
某大城郭の大手門跡
- 2006/06/25
- 13:55

昨日訪問した某大城郭の大手門跡です。この城郭ですが、もともとは羽柴(豊臣)秀吉の中国攻略の拠点として築城されたものが基本となっていますが、関ヶ原後に西国将軍と称された大名が52万石で入部し、改築されたのが現在の姿の原型となっています。その後、この大名の子孫が隣国へ転封となり、某譜代大名が入部した時に完成。以後、城主もしばしば交代がありましたが、譜代大名酒井氏の時に幕末・明治維新を迎えました。明治維...
恒例の『この人は誰?』のコーナーです!!
- 2006/06/24
- 22:47

もうすっかりお馴染みになったパクリ公認の『この人は誰?』のコーナーです。写真左側の『貝合わせ』に興じる、この御姫様なのですが、一体、この人は誰でしょうか?ヒントはありません。ヒントを出してしまうと、多分すぐにわかってしまうので!...
旧奈良県立図書館
- 2006/06/23
- 23:12

永慶寺山門から、本丸の北側に沿って造られた遊歩道を歩き、クルマの停めてある追手門前ジャリジャリ駐車場へ戻る手前にあるのが、現在は大和郡山市民会館として利用されている『旧奈良県立図書館』です。外見は、寺院風と城郭風を組み合わせたような和風建築で、堀沿いに走る近鉄電車から眺めると天守閣もどきに見える、城跡に相応しい建物です。建物自体も、市民会館として現在も利用されているので、きれいにされています。旧奈...
永慶寺山門
- 2006/06/22
- 23:48

本丸・天守台を見て、少し離れたところにある大納言塚を目指して歩いていくと、パトカーが停まっていて、婦警さんらしき人が郡山高校の西端にある松蔭門跡向かい側に駐車してあるオデッセイに何か黄色い用紙を貼ると、そそくさと立ち去って行きました。周囲を見渡すと、駐車禁止の標識が!!!ジャリジャリ追手門前駐車場に停めておいて良かったと、ふと思ってしまいました。そんなことは、どうでもよくて、松蔭門跡を左手にまがり...