『どうする家康』岡崎編 岡崎城
- 2023/03/29
- 20:08

大河ドラマ館を後に次に向かったのは・・・いよいよ岡崎城です。
矢作川を西の、乙川を南の総堀とした丘の上に築城されたのが岡崎城です。岡の先端にあり、そこは幾分低いのか、城下町の方がお城よりも高いところにある感じです。本丸に向かって歩いていくと、内堀は、総石垣つくりと言うわけではなく、もともとあった土塁に石垣を貼り付けた?そんな感じ。石垣を巡らせたのは、家康が三河から江戸へと転封となり、その後に入った...
『麒麟がくる』紀行 明智光秀と戦国三英傑揃い踏みの地 金ヶ崎城跡
- 2020/11/10
- 21:24

既に午後になり、時間に追われます。福知山城を後にして、次に向かったのか、この日『麒麟がくる』での舞台となった・・・敦賀の金ヶ崎城跡です。1570年 越前の朝倉氏攻めのため、ここまで進軍してきた織田軍が、突如同盟関係にあった近江北部の浅井長政に裏切られ、朝倉・浅井の挟み撃ちにあう絶体絶命のピンチに陥った時、京まで信長を逃がすために、この地を舞台に展開された撤退戦が行われました。その撤退戦の面々は、後の天...
駿府城跡 再び その3
- 2018/02/12
- 22:19

二の丸東御門・巽櫓、天守台発掘工事現場を経て、最後にたどり着いたのは・・・・坤櫓(ひつじさるやぐら)です。駿府城二の丸の南西角にある二層三階建ての櫓です。元々の櫓は、安政元年(1854年)の地震で倒壊してしまったので、それを復元したものです。櫓内は三階ですが、櫓の構造を”見せる”ためスケルトン化しているので、2階3階には上がれません。神君家康公の甲冑レプリカがあります。とにかく静岡はどこもかしこも徳...
駿府城跡 再び その2
- 2018/02/11
- 21:53

二の丸東御門・巽櫓を再訪して次に向かったのは・・・・駿府城跡天守台発掘調査現場明治時代、陸軍の駐屯地となった時、本丸が切り崩されて整地されていたので、これまでよくわからなかった天守台の調査を復元工事を含めて行っています。城内を歩いてみると、駿府城はさほど広いわけではないようです。ベースとなっているのが、戦国時代の今川氏居館なので・・・感覚的には、駿府城の本丸・二の丸を合わせた面積が二条城本丸・二の...
駿府城跡 再び その1
- 2018/02/09
- 20:54

久能山東照宮から日本平のPへ戻り、いよいよ静岡から離れるときが来ました。と言っても、この時点で11:00頃。復路はわけあって、高速を新東名の新静岡インターからのるので、何とかどこ通って行けないものかと思い、クルマを走らせることに・・・日本平を下り、まずは国道1号線へ~♪さすが日本のメインルートですから、道も立派です。しばらく西を向いて走り、途中で右折して市街地の方へ~♪静岡鉄道の踏切を渡ると見えてき...